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今でも元気でご活躍のようで何よりです [蒸気機関車]

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 最初にあの小さな蒸気機関車を見たのは、テレビの画面の中だったように記憶している。
一般の人のボランティア活動によって支えられている鉄道運行と鉄道車両のメンテナンスで、あの当時には会員も募集していたようだった。
その会の名称は、「羅須地人鉄道協会」。
その後、孫がこの世に生を受けて、その場所(成田ゆめ牧場)へ行くようになって、その蒸気機関車を目の当たりにしてあまりの小ささに驚いた。
だけれど、それはまぎれもない蒸気機関車であった。
最近行かなくなってしまったが、「羅須地人鉄道協会まきば線にようこそ」(So-netブログ)で見ると、この5月の連休も運行されて、多くのお客さんを乗せて喜ばせたようで、安心した。
「くろがねのみち」に赤いボディーのこの蒸気機関車の紹介記事がありました。
3号機と同じ基隆炭坑鉄道で使用された3.5トン機関車で、昭和16(1941)年の製造です。
こちらは同鉄道の廃止後の昭和53(1978)年に羅須地人鉄道協会が引き取られました。楠木機械製作所は明治44年(1911年)に大阪で創立した車両のメーカーで、戦前・戦中の昭和19(1944)年まで小型の蒸気機関車を製造しました。
同社は現在も環境機器メーカーとして存続しています。


(2009年8月 千葉県成田市 成田ゆめ牧場 まきば線)



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小海線野辺山駅夜間 [蒸気機関車]

 
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国鉄の最高標高地点にある「野辺山駅」(長野・南佐久郡)(1,345.67m)。
よって中央線に接続している小淵沢から野辺山まではずっと上りの急勾配が続いている。
場所によっては33‰って鉄道にとっては限界とも言えるような急勾配もあると聞いた。

そんな場所を夏季は周辺で栽培されるレタスの出荷のため、貨物以外に運行していない蒸気機関車(C56)が大活躍する。
東京圏から近く、美しい山に囲まれたロケーションで鉄道ファンだけでなくハイカーなどで人気の場所だ。
隣の駅清里などでは一時期メルフェン調のペンションが乱立し、まさにバブル全盛だったことも聞いたが、今はどうなっただろうか。

ところでこれだけの標高だと夏はとても過ごしやすい。
何泊かして慣れてしまうと感じないが、帰り道平地に下って行くとサウナに入ったような感覚を覚える。
昔のエアコンなしの車での移動の話だ。

(1971年9月 旧国鉄小海線 野辺山駅構内)



掲載した写真は当時のネガを下のフィルムスキャナーでデジタル化し、Photoshopで画像調整しています。












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タグ:蒸気機関車

会津線桑原駅遠景 [蒸気機関車]

 
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旧国鉄会津線 桑原駅は大川と山に挟まれた小さな平地に集落とともに寄り添うように建っている。
国道からは車が入れるのかってほど細い道を下って、大川にかかるこれまた車で渡っても大丈夫かってほどの吊り橋の木道を渡って、会津線の下を抜けると集落に行くことができる。
山々に囲まれたところであるので、蒸気機関車の汽笛がエコーがかかって、それはそれは素晴らしい。

でも生活となると、日々の生活物資などの調達はどうしていたのだろうか。
そうしたお店も見かけることはなかった(記憶にない)。
何度も同じことを繰り返すが、この集落や駅は大川に作られたダムの底にある。

確か引越しの荷物を作っているような時期にも、この地を訪れたことがあって、その時にそんな風景をカメラに収めたような記憶があるが、まだそのネガは見つかっていない。

掲載した写真は、会津駅方面から湯野上方面の下りの蒸気機関車牽引の貨物。
ちょうど、桑原駅を底に両方向とも上り勾配になっているので、駅に向かう列車はトンネルを抜けてゆっくりと駅に入線し、そこで給水して大川に架かる鉄橋を渡ってトネンルを抜けてゆく。


(1973年3月 旧国鉄会津線 桑原駅)


掲載した写真は当時のネガを下のフィルムスキャナーでデジタル化し、Photoshopで画像調整しています。












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タグ:蒸気機関車

最初の蒸気機関車撮影の旅は羽越本線 [蒸気機関車]

 
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めでたく社会人になって、自分で稼いだお金を使って購入したのが、Nikon社の入門版一眼レフ 「ニコマート」。
上級カメラはあの有名な「Nikon F」と言っても、当時のそれは露出計もないもので、初心者には難しい。それにあまりに高価。

さて買ったはいいけど、何撮ろうって、ぼーっと考えながら、空シャッターを切って一眼レフ独特の音を楽しんだりしていた。

そんなとき、蒸気機関車は国鉄の無煙化計画によって徐々に消えつつあり、消えゆくものを映像に残したいっていうことでSLブームって奴が聞こえてきた。

会社の人に誘われるまま、何の知識も持たないで、出かけたのが、羽越本線経由で米坂線だったか。
記憶は定かでない。

最初の撮影は側面から、フォーカスを事前に決めておけば、慌てないで済む。
最初の撮影の旅は「こんなもんか」って感じで、火が着くのはもうちょっと先になるか。


(1970年代だと思う 羽越本線沿線)


掲載した写真は当時のネガを下のフィルムスキャナーでデジタル化し、Photoshopで画像調整しています。












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タグ:蒸気機関車

西武山口線の蒸気機関車(コッペル) [蒸気機関車]

 
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ユネスコ村って今でいうテーマパークがあった時代に、そこに接続する「おとぎ列車」なるものが運行されていた。
名の通り、遊園地のお猿列車のような可愛い存在だった。
おいらも幼少の頃、何回かユネスコ村に行ったので、ひょっとしたらこの「おとぎ列車」に乗車したかもしれないが、記憶がない。
当時は蒸気機関車牽引でなくて、バッテリーを搭載したELだったようだ。

1970年代になって蒸気機関車の運行が始まって、と言ってもおいらにとっては昔の遊園地のお猿列車のようなイメージが払拭できなかったので、何回も通うまでの魅力を感じなかった。

これらの写真もたまたま近くに行った時のものだったんだろう。

ところで写真のコッペル2号機関車(謙信号)は現在は故郷の上越市に戻って、頸城鉄道2号機関車の名で大切に保存されているようで嬉しく思う。

(1970年代 西武山口線)


掲載した写真は当時のネガを下のフィルムスキャナーでデジタル化し、Photoshopで画像調整しています。












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タグ:蒸気機関車

会津線 桑原駅 [蒸気機関車]

 
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国鉄会津線 桑原駅。 今市を抜けて五十里湖を見ながらさらに進む、峠道を下ると会津地方。このルートでよく通った。
桑原駅の近辺の駅は温泉街があった。芦ノ牧温泉と湯野上温泉。
大内宿っていう観光地もある。

蒸気機関車が目的で出かけるんだが、温泉も魅力的だね。一拍目には夕食の時のビールなんかで一気に疲れが襲ってきて、食事が終わるか終わらないかっていう時にバタンキューの状態だったりしたこともあったけ。

桑原駅に入る列車は貨車を牽引する蒸気機関車と旅客用のディーゼル気動車。
1日いても乗降客に出会うことがあったのかあまり記憶にない。

写真に撮った乗降客の方は桑原の集落のご婦人だろうか。
多分めずらしい乗降客だったので写真を撮影したのだろ。
蒸気機関車以外の珍しい写真。

懐かしい桑原駅に行ってみたいと思えど、今はあの集落とともにダム湖の中。
泳げないおいらでは行くことかなわない。


(1973年2月 国鉄会津線 桑原駅構内の時刻表
1973年3月 国鉄会津線 桑原駅プラットホーム)


掲載した写真は当時のネガを下のフィルムスキャナーでデジタル化し、Photoshopで画像調整しています。




 

 

   



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タグ:蒸気機関車

関西本線 ここどこだっけ [蒸気機関車]

 
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むかし勤めていた会社にも、蒸気機関車の写真を趣味にしている人たちがいたんだ。
そんな同じ趣味で意気投合して、関西本線へ撮影に行こうとなった。
東北方面がおいらのホームグラウンドだったので、新規開拓だ。
撮影には、大切な撮影ポイント選定とその場でどういう絵を撮るかをイメージしないといけない。
新規の場所はそんなわけで難しい。

ともかく出かける。記憶は定かではない(相手主導で鉄道の経路などを決めてもらったので記憶にない)
東海道線の夜行。なぜか座席がホカホカで熱かったって・・・6月なので何か整合性がない。
途中乗換駅でC57110が入線してきたのを見た。

関西本線に乗り換えて、とある駅で下車して明け方の集落を抜けて築堤を登る。
間も無く汽笛とともにD51が爆音を響かせやってきた。

この写真が好きだ(自分で撮ったのであたりまいか)
太陽と水と小さな小屋、蒸気機関車にふさわしいシチュエーションじゃなかろうか。

ところでこの撮影地はどこだろうか?
関西本線で有名な撮影地は加太らしいが、Webでその撮影ポイントで撮ったものを見ても一致するエレメントが見つからない。
気になりだすと止まらない。ってどうでもいいか。。。

こんなとき、つくづく思うのは、鉄道版Googleストリートビュー。

(1973年6月 関西本線)


掲載した写真は当時のネガを下のフィルムスキャナーでデジタル化し、Photoshopで画像調整しています。




 

 

   



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雪の米坂線 なぜ雪か [蒸気機関車]

 
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蒸気機関は水を体積膨張させた水蒸気の圧力でピストンを動作させることを動力源としている。
蒸気機関はイギリスの産業革命を支えた、まさにエンジンと言える発明品だ。
このなものが一朝一夕にできたとも思えないが、動作モデルを見ても、その完成度に感心してしまう。
 
蒸気を作りながら、使いながらの運行なので、石炭と水をたくさん積んでいる。
水蒸気は気温が低いと、その存在は明確にわかりやすい。
夏の蒸気機関車の写真は黒い煙を吐いての写真になるが、同じ場所で撮っても冬の排気は白っぽいし、その量も多い。
 
モノクロでの写真だと白い雪と黒い蒸気機関、青い空(黒っぽく写る)に白い排気は絵になる。
ということで雪は人気の季節だ。
 
ところが、雪はいいことばかりではない。
何より寒い(寒いのが苦手なおいらにとっては一番のデメリット)
音が吸収されて、近づく列車に気がつくのが遅れる。
列車に最接近する場を撮影ポイントにしようとした場合、雪に覆われた枕木や敷石が見えないので、見当がつけにくい。実際に近づきすぎて列車を急停止させた輩を見たこともある。
 
と数々あげたが、それ以上の魅力があるんだ。
 
その日も雪の時期に、運行本数の多いという9600のいる米坂線に出かけた。
 
 
 
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(1972年3月 米坂線手ノ子付近)



掲載した写真は当時のネガを下のフィルムスキャナーでデジタル化し、Photoshopで画像調整しています。






 

 

   



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八高線の蒸気機関車 [蒸気機関車]

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社会人として一人前?になって、勤め始めた地は八高線沿線から近いところだったようだ。
変な言い方だけど、八高線は東京近郊の鉄道ながらローカル線そのもので、これを通勤の足に使っている人はなかったかもしれない。

以前にも同じ内容を記事にしたことがあったと思うが、仕事のために出かけた横田基地周辺の加工業者からの帰りに基地の周辺の土手に群がるカメラを持った集団を見かけた。

横田基地の軍用機(飛行機)撮影が目的だろうと思った時に、土手の向こうに黒い煙が見えた。
この景色を目の当たりにした瞬間に、土手に群がるカメラを持った集団と煙が蒸気機関車であることがつながった。

 
田舎ってものがないおいらは蒸気機関車は絵本の中やテレビの映像でしか知らない。
 
知らないもんだから、蒸気機関車が特に魅力的なものとは思わなかった。

 
八高線に蒸気機関車があることを忘れた頃に、会社の友達に蒸気機関車の撮影旅行に誘われた。
あまり気乗りがしなかったが、せっかくのお誘いなので行ってみることにした(当時からあまり積極的な性格ではなかった)
確か、羽越本線から米坂線を回る旅だった。
 
温泉あり、田舎の景色あり、持て余すほどの待ち時間、自然と一体感というより解けこんじゃわないと、その場にいられない感覚にハマったかもしれない。
 
 
近郊の無煙化は早かった。
八高線での現役の蒸気機関車を見る機会がないまま、気がつくと記念イベントで運行が計画されたということで、混雑覚悟で見に行った。
友達から、超望遠レンズを借りて行ったかもしれない。
沿線にいる見物人を避けて、蒸気機関車だけを切りとって撮影しようとした。
 
ちょっとだけ蒸気機関車の雰囲気を楽しんだ。

(1972年10月29日 八高線沿線)



掲載した写真は当時のネガを下のフィルムスキャナーでデジタル化し、Photoshopで画像調整しています。






 

 

   



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国鉄会津線桑原駅 [蒸気機関車]

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国鉄会津線 桑原駅は国道から見下ろす大川の流れからちょっとだけ離れた小さな集落に寄り添うようにある古ぼけた木造の駅舎だ。

国道と結ばれる小さい道。そして大川を渡す木道の吊り橋がその存在を知らしめている。

ここを通過する蒸気機関車は下り方面(湯上方面)は給水のためにこの駅でしばしの休息を得る。
なぜかこの駅が好きだった。

この日(1972年12月)も桑原駅で暖を取っていた。
無人駅で、列車を待つ乗客もなく、一人で石油ストーブを独占。
こんな管理をしてくださる人がこの集落のどこかにいるのだろう。

外はまさにしんしんとしか例えようのない雪の降る音がする気になる。
あまりに音がしないと音を求めるように脳が働くのだろうか。

雪のない時期は国道を行き交う車の音が山に反響して結構耳障りなのに、もちろん国道も積雪しているので通行量の少ないが。
不気味なほどの静けさの中で、石油ストーブの炎だけが生を感じられた。

現在はあの集落も駅舎も給水のタンクもダム湖の中。


掲載した写真は当時のネガを下のフィルムスキャナーでデジタル化し、Photoshopで画像調整しています。






 

 

   



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葛生の明治生まれの力持ち [蒸気機関車]

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日鉄鉱業葛生鉱業所1070形1080号機

  かつての職場には多彩な趣味の持ち主が大勢いて、互いに影響しあっていた。
おいらは若造だったので、先輩方から教わるようにしてすごい人たちの教えを請うっていた。
ある時、葛生(くずう)で蒸気機関車が走るらしいから行こうということで出かけた。
葛生ってどこ?(栃木県佐野市でした)
そんなところで蒸機が走るなんて本当?(本当でした)(会社に、この地出身の方からの情報でした)


現地(日鉄鉱業葛生鉱業所)に到着すると、その蒸機は機関庫から引き出され水洗が始まっていた。
この蒸機は、明治34年(1901年)に英国ダブス社によって製造されたので、その後改造を経てきたものらしい。
当時(1973年)でも72歳だったことになる。今から43年も前のことだ。
ここ葛生の地では、鉱石を国鉄葛生駅まで搬送するDLの予備として大切に余生を送っていた。
その当時は時々火を入れて走行させていた。
入念な水洗が終わって石灰岩の白っぽい埃が綺麗になった後、油を染みこませたウエスに火をつけて釜に放り込む。
その後の写真がないので、多分現場を離れたんだろう。
専用引き込み線を往復してその日の仕事を終えた。

現在の居所は「京都鉄道博物館」(旧梅小路蒸気機関車館)にあるということがわかった。


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掲載した写真は当時のネガを下のフィルムスキャナーでデジタル化し、Photoshopで画像調整しています。






 

 

   



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今はない日中線の蒸気機関車の勇姿 [蒸気機関車]

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デッキに出るとバック牽引のC1180が
(1974年1月)

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残雪の田の向こうを静かに行く
(1974年4月)

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熱塩を出て喜多方へバック牽引で森の間を縫って向かう
(1974年8月)

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一番列車の車内は撮り鉄の関係者が大半
(1974年4月)

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熱塩駅構内
この終着駅にはターンテーブルがないので折返し後の喜多方方面へは
バック牽引となる
(1974年1月)

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日中線の最終列車?
熱塩駅構内
(1974年8月)
当時使用していたカメラは低速シャッターは一秒だったかな
それ以上はバルブで撮る
手元も暗いので、感でカウントして撮影する
それより、入光式の露出計では測光はできないから、露光時間も感




会津線、只見線、日中線には同じ機関区からC11が運行されていた。
会津線と只見線は山間部と河川を縫って走るような景色でトンネル、鉄橋など撮影ポイントは多数あった。
只見線ではしばらく旅客列車も牽引していたが、ディーゼルに置き換わった。

一方、日中線は農村風景の中を走る旅客列車を見ることができた。
しっかりと地元の生活に密着していると思ったが、現在は廃線となって線路もないようだ。

そんなことで撮影した当時のネガフィルムを引っ張り出して、先日購入したフィルムスキャナーでデジタル化した。
昔のことが蘇ってくるようだ、あの力強いブラストまで聞こえるようだ。(加齢のためのただの耳鳴り?)








 

 

   



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あらまっ 懐かしい日中線のC1163 [蒸気機関車]

ライスさんの、「ライス一番」のこのブログを拝見していたら、あらまっ、懐かしい。

日中線の路線図や時刻表の写真。

それに、日中線廃線跡の桜並木の中に静かに佇む「C1163」の写真。

C1163の写真随分あるはずだと探したら1枚ありました。

喜多方から熱塩までは、ほぼ上り勾配で蒸気機関車らしい煙を勢い良くだしながらの走行を狙えるけど、喜多方方面への列車は下り勾配になるので、転がるように行くだけ。

だからって、あまりに少ない運行路線なので、転がるように走り抜けるものでも貴重だ。

それで、撮った1枚。「C11 63」。

 

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(撮影日不明 昭和40年台かな  日中線熱塩付近の上り)



 

   




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オール段ボール 蒸気機関車 D51 [蒸気機関車]

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段ボールというと思い出すのは、「段ボール箱」。
リサイクルにむいていることや、強度も紙とは思えない強さなどから、最近は構造材として建築や家具、遊具などにも使われているという。

でも、この使われ方には驚かされた。

蒸気機関車を再現したという。
しかも原寸大。

まさかと思って見に行った。
寸法を測ったわけではないが、本当だった。

あのD51がそこにあった。

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イオンモールSL博物館-03.jpg

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チラシによると
D51 蒸気機関車<原寸>段ボール模型巡回展示
SL博物館
in イオンモール幕張新都心  グランドモール1F グランドコート

公開組立 : 8月25,26日
展示 : 8月27〜30日
公開解体 : 8月31日

DATA/D51
仕様形式 : D51
車両番号 : 1162
全長 : 19,700mm(機関車本体・炭水車含む)
全高 : 3,980mm(レール高さ150mm除く)
全幅 : 2,860mm
全重量 : 1,500kg
製作期間 ; 10ヶ月間

設計者プロフィール
島 英雄氏 (段ボール工芸家)
昭和24年、東京生まれ。現在は南島原市在住。・・・・・現在は段ボール工芸家として、段ボールを素材とする工芸分野を開拓すべく「原寸段ボール模型D51」を制作。
今後は「工芸分野」と「工業分野」における段ボール素材の可能性を追求していく。


   




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明智線のC12蒸機はよみがえるか [蒸気機関車]

当時、国鉄 中央西線(塩尻ー名古屋)の一部区間には蒸機 D51が、中央西線の恵那を始点として明知まで支線、国鉄 明智線には、小さいタンク型蒸機 C12が運行されていた。

明智線は山間部の急勾配を走り抜ける C12の迫力で当時から有名でした。

そんなことを思い出しながら、ネットを調べていると、なんと 明智小学校で朽ち果てるのを待つような静態保存のC12 244号 と C12 74号(恵那市中央図書館)を第三セクター「明知鉄道」が改修して、2027年のリニア中央新幹線開業前の運転を計画しているという。

嬉しいじゃないか。

リニア中央新幹線とC12とでは運行速度は比較にならないが、人気のほどはどうなるんだろうか。

決して負けてないと思うが。

2027年を前に、2015年には先行してC12 244が、明智駅構内で運行(エアコンプレッサーによる圧縮空気による運行)が計画されている。<詳細は明知鉄道オフィシャルサイトより>

 

明智鉄道C12発進poster.jpg

 

 明知鉄道サイトより転載

 

 

ここからは、国鉄明智線でのC12の勇姿

 残念ながら244号、74号の写真は見つけること出来ませんでした。

明智駅で微睡む C12 209
この蒸機は中津川で構内入れ替えように使用されていたようで、
前後とも黄色の寅模様がペイントされていた

 

明智線C12 42.jpg
C12 42

 

明智線 C12 209 明智ー山岡.jpg
 C12 209
明智駅を出たC12はバック運転

 (撮影日詳細不明  明智駅周辺)

   

 

 








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